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クリス智子 クリス智子
クリス智子

ヒロコー!

CHRIS TOMOKO

ヒロコー!

CHRIS TOMOKO

 夏は、今年も爽やかで真新しい匂いがした。春よりさらに増えた観光客で、朝早くから満員の江ノ電。賑やかで陽気な空気に、仕事に向かう道中、読み物をしている私は、ほんの束の間、逆にこちらが旅先で本を読んでいる気分になる。電車は空いているに越したことはないが、表情のない人の集合体より、わくわくした人の集合体の方が、やっぱり活き活きしていていいなぁ、と思ったりもする。

 ある日、また江ノ電で座って本を読んでいたら、立っていた青年が「僕、番組、いつも聴いています」と爽やかにそっと声をかけてくれた。嬉しいな。雰囲気も話し方も好青年なその彼は、今日はこれから、由比ヶ浜海岸のライフセーバーのアルバイトに行くとのことだった。降りぎわに軽く会釈、容赦ない太陽の下へ颯爽と消えていったが、この暑さの中でもきっと彼は人を爽やかな気分にする、いい仕事をされることだろうと見送った。暑さにだれ気味の自分の気持ちもシャキッとした。

 夏は、カフェスタンドや、コンビニ、スーパーのレジなどでも、アルバイトの方に会うチャンスが多い。今年は特にそう感じたから、やはりこの数年に比べ、社会が活動的になってきたのかもしれない。あちこちで、すがすがしい表情と仕事に出会う。私がアルバイトを始めたのも16歳の、夏だった。両親共働きの家庭だったからか、働いてみたいと思っていたし、自分も社会の仕組みの中で役割を持てることも、自分で働いてお金をもらうことも楽しみだった。最初のアルバイトは、迷いに迷って、横浜の元町通りの一番奥の方にあったArby's というローストビーフサンドウィッチのファーストフード店。学生服とは違う制服に着替えるのもまた嬉しく、シフト出し、レジ打ち、引き継ぎなんて言葉にもワクワクしたものだ。精一杯の笑顔で「いらっしゃいませー!」を連呼していたんじゃないだろうか。

 店長は私を「ともこー!」と呼んでいたのだが、なぜか半分ぐらいは「ヒロコー!」と呼び間違えるので、いつも笑って「と・も・こです!」と答え、店長も「ごめんごめん!」と笑っていた。途中から「もうヒロコでいいですよ」と言っていた。どうやら私が入るよりずっと前に、アルバイトをしていたハーフの女の子が「ヒロコ」さんだったらしく、ハーフ枠で間違えてしまうらしかった。(どちらも、超日本的な名前であることも間違う要因らしかった)その、私が会ったことのない「ヒロコ」さんは、聞けば、当時、誰もが知っている、とても美しい「ヒロコ」さん!ヒロコ・グレースさんというモデルさんだと言う。えー!?と思いながら他のスタッフを見ても同調していたので、それを知ってからは、店長に「ともこー!」と呼ばれても「ヒロコでーす!」と答えていた。そんな時も、店長はうっかり「ごめんごめん」と言うことがあって、しばらくすると「やられたー」と奥で笑っていた。当のヒロコさんに確認したことはもちろんないので、真実なのか、はたまた店長の妄想(&スタッフみんなの罠)だったのか?未だに胸に残る小さな疑惑...。仕事の内容はすっかり忘れてしまったけれど、アルバイトライフはそんな楽しい始まりで、その後の数々のアルバイトも、人生の大事な経験だ。その店はもう今はないが、建物はそのままにスターバックスが入っている。たまに、その元町のスタバの席に座ることがあるのだが、今でも奥から「ヒロコー!」と呼ぶ声がしそうで、クスッとしながら、カフェラテを飲んでいる。

(ちなみに、今ならたくさんありそうなのに、当時のバイト初体験の写真が一枚もない?!さすが昭和...と言うわけで、 近いところで...当時のヒロコ、もとい、ともこ。)

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