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クリス智子 クリス智子
クリス智子

巣づくり

CHRIS TOMOKO

巣づくり

CHRIS TOMOKO

  

石を積んだり、土を掘ったり、何かを埋めたり、壁を作ってみたり、水の流れを見つけたり。小さい頃から、学校が終わると、そんなことをよくしていた。自分の場所でもないのに、お寺の裏の、崖の穴をみつけて何を置いて楽しんだり、空き家を発見した時は、こっそり友人と周りを探索し、妄想で自分たちの家扱いしては話を作って楽しんでいた。捨てられていたのか、まだ座れる椅子を裏山に見つけたときは、雑然とした周りを少し整え本を読む場所にした。崖上りも木登りも読書も整理も一緒くた。そこそこのおてんばだったという自覚はあるが「ここにあるもので何をどうしたら、いい場所になるだろう」と考えることが好きだった。思えば、いまも私は変わらず、そんなことに夢中なのである。 

 7年ほど前に、今の鎌倉の家に拠を移した。物件を見に来た時の印象としては、鬱蒼とした緑の中にポツンと家があった感じ。長く住まわれていなかった家にようで、それなりのダメージもあったけれど、それ以上に「ポテンシャルがある!つくる喜びがある!」と思ってしまったのだ。自分らしさ、家族なら自分たちらしさ、とはなにか。素敵なものを集めたり、何かの様式にまとめられたものではなく、頭と身体を動かし、色々と考えあぐねる時間を繰り返して見えてくるのが、自分たちの場所に思っている。

 場所の声を聴くことからはじめた。ある日、一気に整備された庭が生まれるのではなく、前の住人の方は何を植えて楽しんでいらしたのか、この土地には何が合うのか。知らないことだらけの自分にできることは、とにかく耳を澄まして聴くこと。数年経って、ようやく竹の美しさ、山茶花の魅力、梅の木の豊かさが、しみじみわかってきた。ようこそ最初に切らなかったとヒヤヒヤする。荒れ果てた庭のままに過ごすことしばらく。しかし、これは、場所を受け継ぐには必要な時間だった。当初から、10年ぐらいしたら自分たちの場所だと感じられるようになるのではないかと思っての決断でもあった。 

 数年前、コロナもあって、いよいよ庭づくりに精を出し始め、今は、もう一つ、小さな場所づくりをはじめている。思えば構想は40年、現実味を帯びてきて2年、動き出して半年ちょっと。これに関しては自分が一から石を積み上げているわけではないが、学校とは別の時間を楽しんでいたように、仕事が終わってから少しずつ変化しているその場所に驚いたり、次のアイディアを考える日々を味わっている。インテリアや家のことを考えるのが好きではあるが、私はそれ以上に、もっとずっと前の「居場所」という概念が生まれた頃のことに興味がある。「自然」と「人が居る空間」。どうしたら風景に溶け込むことができるだろう、と考える。建築は自然にとっては異物だろうと思うが、つくり方によっては、自然と人との間に会話が生まれ、より良いことにもできるのではないか。緑や崖、はたまた棲んでいる虫や動物たちにも、人間の音楽や笑い声を聴いてもらったら、違いの境界線は少し緩んでいい場所になるのではないか?んー...人間側の妄想的理想だろうか。

 今週の"GOOD NEIGHBORS"(私の担当するJ-WAVE ラジオ番組) でお会いした「週末縄文人」の縄さん&文さんの活動は、そんな私にはささりまくった。彼らの活動の根底には「人間がどうやって文明を作ってきたのか。縄文時代から始める」と言い放ち週末は山に行き、火起こし(数ヶ月かかる..)から始めるのだ。私は、俄然、食い気味に彼のYoutubeチャンネル や著書「週末の縄文人」を読んだ。「先人に学ぶ」を本気で身体を使ってやっている。生きているという充実感、自分で「発見する」を「体感する」ことは本当に大事に思える。色々とお膳立てされている現代においては、この素敵な部分がだれかに吸い取られてしまっている気がしてならない。見回してみると、どれひとつとして、自分が生んだものはない。楽だけど、面白いかどうかは、人それぞれだろう。

 彼らの著書の中で「火きり棒のための、まっすぐな木がない!森にはまっすぐな木がほどんどないことに気づいた。...(省略)もしかすると、自然の中に生きてきた人々にとって、珍しい”直線”は憧れの対象だったのかもしれない。」とあり、面白かった。確かに、これは週末縄文人にならないと気づけない、と思ったし、これまで生きた人々の憧れの先に私たちが生きているということもわかる。さて、いまを生きる自分は、何に憧れるのか。未来はどうあったら、素敵だと思うのか。自分が生き、つくる場所は、いつか受け継いでもらえる人に楽しんでもらえるだうか?いや、誰かが受け継ぎたいと思ってもらえる場所を、と思うことが大きく基準にある。私たちが、先にここに住んでいた人たちのあたたかさを、感じられたからだと思う。自分の住まう場所は、もともとどうだったのか?想像して生きることは、拠づくりを面白くする。

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