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クリス智子 クリス智子
クリス智子

鐘の音とピアノ音

CHRIS TOMOKO

鐘の音とピアノ音

CHRIS TOMOKO

 夕方5時、町に響くお寺の鐘の音は、友達との遊び終了のゴング、家に帰る約束の音だった。家から30秒のところにあった妙香寺。石の階段は一段一段が大きい上に急だったが、妙香寺の石段や石壁がわたしはとても好きで、駆け上がったり登ったり、近所の子たちとのいい遊び場だった。階段を登りきったところに正門があり、門の向こうは、なんとなく入ってはいけない、大人だけが跨げる別世界だった。門の手前右には、あまり手入れのされていない藪があり、門ギリギリ手前の無法地帯、見晴らしも良く、我々の基地としては絶好の場所だった。

 ある日、ピアノを習いたいとせがんでいた私に、母が紹介してもらった先生に会いに行くことになったのだが、なんと向かった先が妙香寺、階段上がって門の手前、左にある幼稚園だった。少し奥まっていたこともあり、それまで意識したことがない建物が急に自分の視界に飛びこんできた。右の基地に向かう時とは違ったすまし顔で先生が待つ部屋に母と入ると、ダボっとしたスーツ姿の、愛想のない渋い顔をした頑固そうな60代ほどの男の先生がグランドピアノの前に座っていた。重たそうなグランドピアノとバランスがとれているように見えた。もれなく私の気も重たくなったのだが、言葉を交わすうちに、適当なことを言わず、ごまかさず、子供扱いもあまりしない大人だとすぐにわかった。子供はそういうところで大人をみる。わたしはそうだった。そして大人になった私が、小さい子どもと会うときに、一番大事に思っていることでもある。

 上田先生は、音大で教鞭をとる一方、何の縁か、たまたま出張で教えにいらしていた時期のようで、1,2年後には妙光寺でのレッスンは閉じ、私は片道40分ほどかけて横浜の洋光台というところにあるご自宅にレッスンに通うことになった。先生とは気が合うからこそ言い合いもして、鼻息荒くベートーベンを弾いた。しかし、ぶつかり合うほど仲良くなって、あとくされなく、翌週、まっさらな気持ちで話せる存在だった。私はショパンが好きで、その曲の美しさを教えてくれた。どーんと一人がけの重厚なソファに座って、斜め後ろのポジションから生徒のピアノを聴いていたのだが、十分に練習してレッスンに臨んだ日には「これでいいと思うなよ、」と言いながらも、渋い顔が笑顔になるのが、背中越しの声でわかり、ちょっと嬉しくなった。

 あの頃のわたしにとって、ピアノはその日の話をしたり、感情をぶつける話し相手だったようで、負の感情をだれかと共有することより、ピアノを弾く方がスッキリしたし、手応えがあった。基地で遊ぶ友達はいたけれど、まったく別の付き合い方で、夢中で弾いていた。黒のアップライトは、顔を映すので、まぁ、自分との対話だったのだと思う。大人になって、様々な楽器のことを思うに、弦楽器や管楽器、ギターやドラムなどとも違って、ピアノは、聴く人の方に向かず、自分と向き合う楽器なのか、と腑に落ちたことがあった。

 時は経ち、今、我が家にピアノがある。息子がピアノを習うことになった5年ほど前、ほんの何年か前に自分を育ててくれたアップライトを手放したことを後悔しながらも楽器屋さんに行った。続くかもわからないのだから、と思っていたにもかかわらず、音色を聴き比べているうちに、とうとう店の奥の方まで行き、これはずっと聴いていたいと思った音色に、想定以上のローンを組んでしまったのだ。想定内のことといえば、息子はピアノを習うのをやめたことだ。無理にやり続ける必要はないので、それでいいのだけれど。一つ、先生のことでいえば、とても優しい先生で、練習して行っても行かなくても褒めてくれるので、どうやって伸びればいいんだろう?と親の私が首を傾げてしまった。上田先生のやさしさの質とは違った。

 今は友人知人が来ると弾いてくれたり、私は午前中に耳にするピアノの音が好きなので、たまに朝、3分ポロポロ弾いたりもする。自分自身を映し返す黒ではなく、家具のような木製。今は、開けた気分で弾ける気がする。昨日、調律に来ていただいた中野さんの話を書こうと思っていたのに、ピアノ愛を伝えて終わってしまった。中野さんの、調律目線での、バッハやYAZAWA話は、またに。

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