カバー画像
クリス智子 クリス智子
クリス智子

エレベーターに乗ると

CHRIS TOMOKO

エレベーターに乗ると

CHRIS TOMOKO

 大きな窓ガラス越しに静かな東京の高層ビル群を眺めていると、つくづくエレベーターあっての風景だなぁと思う。つい先日、11月10日は「エレベーターの日」。1890(明治23)年11月10日、12階建てのビルで日本初の乗用の電動式エレベーターが稼働したことにちなんでいるそうだ。今では、建物の低さがむしろ魅力に思える浅草の地。きっと人々はこぞって興奮したのではないかと想像するが、せっかく設置されたものの、度重なる故障や危険を注意され、半年ほどで一旦使われなくなったりしたとのこと。(その後、上層階には階段を使っていたのだろうか...など、いらぬ心配をしてみたりする。)

 今では当然のようにエレベーターに乗る日常だけれど、私は乗るたびに、なんだか少しワクワクする。日々乗っているエレベーターは33階まで運んでもらっていて毎回感謝であり、52階まで上がると別世界に連れていかれるため、近い将来「宇宙エレベーター、稼働開始」というニュースが飛び込んだとしても、なんら不思議はないところまできている。

 エレベーターの扉が開いたら、そこは違う世界なんじゃないかという期待は、いつもうっすら心の片隅にある。これは、小学3年生の時に読んだ「スーザンの不思議な世界」(エドワード・オーモンドロイド作)という児童書の影響が多分にあるんじゃないかと思っている。物語の骨組みは、スーザンという女の子がアパートのエレベーターに乗り、いつもと違う階で降りてみたら、まったく知らない19 世紀の世界に降りたつ冒険ファンタジーで、この話が私の妄想癖のベースにしっかりと刷り込まれている。

 そんな風に、物語の入り口でもあり、日々のことでいえば、仕事前のエレベーターの扉オープンなら「よっしゃ」と思い、帰路に着く前であれば、弛緩のはじまりでもあって。エレベーターは、数十秒でも密閉された空間に身を置くことで、機能はもちろん、気持ちの切り替えや、物語が生まれるちょっとした装置なのだ。

 渋谷や新宿あたりの高層ビルのシースルーエレベーターに乗ると、永遠に続いて欲しいと思うし、ガチャッと重ための音をさせながら開くレトロな鉄格子の先にある歴史を物語るエレベーターなどは、すぐにタイムスリップできる。マイケル・J・フォックスが主演していた「摩天楼(ニューヨーク)はバラ色に」という80年代のザ・ハリウッドムービーをご存知だろうか。色々と身支度や調整をエレベータの中でする主人公が、扉が開いた瞬間、身支度中途半端な中、ボディビルダーさながらのポーズで誤魔化すシーンがあり、10代の私は、映画館で思いっきり吹き出したのをよく覚えている。

 個人的なエレベーター物語もいくつかあって、たとえば知人とビル上層階のBARに行こうとした時のこと。私はエレベーターで押しに押され、一番の奥の壁に体重を預ける格好で、降りる階まで息を潜めていたところ、なんとその階に着いたら、私が身体を預けていた側の扉が開き、まさか、と思った時には思いっきり尻餅をついてBARに到着。静かで大人びたフロアに、若干エキサイティングな登場と相成り、そのギャップに周りも私も笑ってしまった。いつかその話をラジオでした放送後にタクシーに乗ったら、運転手さんに「いやぁ、笑いました。で、あの後、お尻大丈夫でしたか?」と聞かれ、笑い話はまだ続いた。

 この週末、思い起こされたエレベーターでの大切な思い出がある。渋谷で友人のライブ鑑賞後、5階から乗ったエレベーター。4階で扉が開くと、私が仕事を始めた頃より、いつもご一緒するのが楽しく、長年知るアーティストの方が、いつものネクタイとジャケットスタイルにビシッと身を包み、マネージャーさんと立っていらして「おぉ!」と互いにびっくり。「こんなところで、お久しぶりです!」にっこりしたそばから、エレベーター内に所狭しと貼られた、そのビルの広告のうち、セクシーポーズの女性のポスターを指差しながら「今日、僕、これじゃないですからね、違いますからね、」と、こそっと、ユーモアある一言。私たちだけのエレベーター、大爆笑しながらの、1階までのわずかな時間が楽しかったこと。KANさん。隙のないユーモア、音楽はもちろん、会話も秀逸で。いつかまたエレベーターの扉が開いたら、ばったり会えそうな気がする。どの扉だろう。エレベーター、どうぞよろしく。

*KANさんのご冥福を心よりお祈りいたします。

シェア twitter/ facebook/ リンクをコピー