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クリス智子 クリス智子
クリス智子

玄関のない家

CHRIS TOMOKO

玄関のない家

CHRIS TOMOKO

 玄関がない家だった。いま住んでいる家に初めて訪れたとき、玄関が見当たらなかったのだ。お勝手口といった感じで裏手に戸がひとつ、あとは庭に面したリビングの掃き出し窓から入ればいいということだったよう。数々の物件を見てきたが、玄関のない家は初めてだった。しかし、むせるかえるような緑の中、緩やかな傾斜を上がったところに建つ古い家。迎え入れられているような気持ちになる空気感に「ここだ」と思った。

 私たちは4代目の住み手になる。最初は、昭和15年頃に、ここを設計したドイツ人の方が住んでいた。2代目の方が少し改装、3代目の前オーナーが増築+大胆改装。よって、最初の頃の面影は、もはやないと思われる。前の住み手の大胆な改装、たとえば1階の5つの部屋を見通しのいいワンルームに。(それそれが小さな部屋だったと思われるが、1階のワンルームのど真ん中に2階を支える大きな柱が今もある)次は、家の周りをタイル貼りにしてテラス使いができるように。(これは大変ありがたい)そして、玄関を無くしてしまったのだ。(わお!)...いったいどういう方がどんな考えで..?と気になりながら、お勝手口から家の中に入ると、驚きと疑問は増幅していった。1階ワンルームの全面掃き出し窓にはカーテンではなく、特注サイズであろう大きな障子。床も天井も壁も、すべて木だった。家の中にはまだたくさんのモノが置かれてあったが、目移りの連続。真っ赤なガラスの大ぶりの花器、天井から悠々と垂れ下がる見事な麻の暖簾、30客はある揃いの茶器、フランス製のアンティークの大皿。ファッション、民芸、暮らし、アート、多岐にわたる数多の蔵書。私の好奇心と興味をくすぐる物ばかりで、玄関の件もあったが、いよいよ、いったいどんな方が住まわれていたのか、物件以上に興味が湧いてしまったのだ。 

 聞けば、なるほど。60年代から80年代、パリでも活躍されていたファッションデザイナーのご夫婦、そのオートクチュールのコレクションは、今見ても素敵だ。軽井沢に最初にブティックとオープンエアのキャフェをオープンさせた日本のカフェ文化の先駆者でもあり、パリに住んでいた昭和30年代当時には藤田嗣治さんとも交流。北欧、イタリア、スペイン、アフリカなどなど、数しれない旅から刺激を受けると同時に、日本の文化をしっかり見つめなおしていたようなご夫婦だった。ご主人は茶道も嗜まれていた。その審美眼、古いものと新しいものが一緒に自然にあるその場所づくりに、たかが内覧にいった程度で、いたく感動してしまったのだ。

 この鎌倉の家は、終の住処として購入され、時間をかけて改装されたのだが、多忙なお二人、東京、軽井沢、鎌倉と拠点も複数おありだったため、ゆっくり住まわれる前に、ご主人が旅立たれ、手放すタイミングに、私たちが門の前に立ったのだ。住んで8年目になるが、未だいろいろと驚きがある。庭の風景や、ふと開いた蔵書に挟まれた文化人の著者たちからオーナーご夫妻への温かい手紙の数々。そして、ご夫婦それぞれに著書を何冊も出されているため、幸いにも、私はいま住んでいる家の歴史を、お二人の言葉で読んで味わえる。そのほか、ご夫婦のこと、暮らしの美学、何十年も前のパリのこと、読めば読むほどご夫婦と会話するような気持ちにもなるのだ。ある著書に、この家の改装プランの12項目が記されたページを見つけた。そのひとつは「 主人のアイディアで玄関のない家にする。」(奥さまは反対したが、やむをえず)そして、もうひとつ見逃せない項目は「階段の脇に滑り台をつける。」だった。滑り台!!(これは実現しなかったようだが、滑り台の話はまたの機会に..)

 私たちは滑り台はつくらなかったが、玄関はつくった。やはり、しっくりくる。引っ越した頃は、毎日玄関のドアを開けるたびに、あってよかったと思っていた。とはいえ、掃き出し窓から入ってくる人もたまにいるので、そういう時は、前オーナーの「ほら、いらないだろ?」という声が聞こえてきそうで、くすりとしてしまう。

 常識に捉われない、愉快な発想で愛され、育まれてきた家。そこでの暮らし。まだまだ知らないことがこの家にはありそうでわくわくするし、そういう活き活きとした発想で、さらに私たちも家を喜ばせたいと思っている。家を引き継ぐことは、大変に面白いのである。

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