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クリス智子 クリス智子
クリス智子

Sくんの隣

CHRIS TOMOKO

Sくんの隣

CHRIS TOMOKO

 席替えは、いつも楽しみだった。一旦、教室の後方にみんな並ばされ、いつ自分の名前が呼ばれるか、今度は誰が隣かと、先生に名前を呼ばれ指示された席に座っていく、あの緊張感。小学3年生になって2度目の席替えのときも、それまでと同じような感じで、名前が呼ばれるのを今か今かと待っていた。周りの子が次々に呼ばれ席に着いていき、きゃーとか、えーとか言う声がひとしきり上がったあと、最後に呼ばれた私は、Sくんの隣だった。

 Sくんは学校から徒歩10分ほどのところにある児童養護施設から通っていた。彼以外で仲良くなった女の子もそこから通っていたので、単純にどんなところか気になっていたけれど、自分の家とは反対方面だったこともあり、なかなか行く機会がないままだった。じつは数ヶ月前、偶然にも車でそのあたりを通った時に思いがけず場所を知ることになった。ここだったのかぁ!と長い年月をかけて見つけたような気持ちになって嬉しくなり、バザードランプをつけ、自分の頭の中にあったイメージとはまったく異なる建物をしばらく眺めていた。

 思い返せば、毎日にように小さな事件は起こった。授業中に教科書を破ったり、窓の外にだれかの筆箱を投げ捨てたり、微妙な周波数の奇声を発したりするものだから、当然のように、みんな避けるようになっていったし、先生の言うことなんて聞くはずもなかった。私はと言えば席が隣なので、それなりに色々あった。図工の時間、彫刻刀で彫っている最中、Sくんは横でふざけながら私にぶつかってきたため、うっかり手を滑らせケガをし、保健室ダッシュ。包帯をぐるぐる巻いて席に戻ってきたら、Sくんは珍しくしゅんとしてなんどか謝ってきたけれど、1,2日は口をきかなかった。給食の三角パック牛乳(の時代)をパンチして破裂させた時は、私のお気に入りの赤い花柄ワンピースに大量にかかり、臭いし濡れているしブルマで帰ることになったし、悲しくて腹もたち、Sくんにも責任を取って体操服で帰ってもらった。まぁ、本当になんだかんだとあったけれど、席が隣のよしみか、隣の贔屓か、みんなが言うほどSくんは怖くも悪くもなかったし、やさしいところもたくさんあるのがわかっていたから、私も真正面から、ちゃんと話し、ちゃんと怒り、ちゃんと笑った。そのうち、Sくんは私にだけは、思ったことを話すようになった。

 当時の私自身は、グループ行動は苦手だったけれど、男子も女子も、不良っぽい子も本好きのおとなしい子も、ふとしたことで話して気が合えば仲良くなったけど、転校生でハーフ、すでにその頃までに引っ越し9回、転校8回(学校やらサマースクールやら、所属していた団体を数えると)、それなりに新しい環境でどうすれば良いかは心得ていたのだろうが、いくらでも孤独な気持ちになる理由はあった。Sくんの、誰に話しても分かってもらえるはずがないという何か大きなものを抱えている感じは、なんとなくわかる気がしていた。他のクラスの人には感じられないシンパシーを感じ、いつの間にか私にとっても、Sくんは素直にぶつかることのできる相手になっていた。彼は、そこまでの彼の人生で、自分ではどうしようもないことがあって、湧き上がる感情やエネルギーの扱い方がわからないだけだったはずで、彼の行動は、私にはすべて彼の言葉に思えた。担任の先生は、Sくんの隣は私しかいないと言ったけれど、その言葉自体が、彼を狭い世界に閉じ込めていると思い、腑に落ちなかった。今の私の、聴こえる言葉以外のその人の言葉を拾いたいと思う強い気持ちは、Sくんとの出会いに端を発しているように思う。結局、小3時代、その後も席替えのチャンスは何度かあったが、年間を通して私はSくんの隣の定位置で、先生の「はい、席替えしまーす」の言葉には、なんの緊張も期待もしなくなっていた。そして、それで別によかった。

 時が過ぎて高校生の頃、私のアルバイト先の店に、たまたまS君が友達数人とやってきて、びっくりしたことがある。背はぐんと高くなって声は低くなっていたけれど、すぐにわかった。友達といる様子を見て、元隣の席のTさんはちょっと安心。「久しぶり。ご注文は何になさいますか?」Sくんは、ちょっと不良っぽいままの表情で、私の顔を見て少しバツ悪そうに、ニヤッとした。

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