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クリス智子 クリス智子
クリス智子

これなら飛べそう

CHRIS TOMOKO

これなら飛べそう

CHRIS TOMOKO

 あれはコロナ前だったから、2019年の夏。異例の暑さを警戒し、予定されていた恒例のトライアスロン中止のニュースを目にしながら入国。ニューヨーク、異常な熱波、体感温度は44℃という表示。滞在中の一週間に、熱波、停電、洪水と一気押し寄せる異常気象を体験した夏休みだった。住民の方の半地下の部屋をお借りしていたので、浸水と停電により状況は深刻、私たち家族は途中でホテルを探し移動することになった。夜中に消防署のサイレンが鳴り響き、爪痕はそこここにあるものの、朝が来ればニューヨークの日常は動き出し、訪れた私たちも動いていた。非日常は時を止め、日常は時を動かす。

 ニューヨークは、たびたび訪れる場所なのだが、その夏は友人でもあるコラムニストの上野朝子さんを訪ねて、初めてニューヨーク・マンハッタン島の東側、ロングアイランドの西部に位置するブルックリンへ向かった。ずいぶん前から、新しいニューヨークのおしゃれなエリアとして人気だけれど、歴史もあって、落ち着いたブラウンストーンのタウンハウスが続く町並みと夏の街路樹がつくる風景の美しさは溜息もの。もし人生で、あと3回引っ越せるとしたら...確実にその一つは、ブルックリンのタウンハウスだなぁ、などと妄想しながら散歩。

 滞在中、色々あったものの、夏のブルックリンを満喫した。夕暮れ時、テイクアウトの惣菜とワインを持ってプロスペクトパークで野外映画上映を楽しんだり、1920年代からあるレトロかつワンダー遊園地、コニー・アイランドとすぐ横にビーチではしゃいだり、マンハッタンへも電車で40分ほどの距離なので、お目当ての美術展や店も巡った。小さい頃からantique mall や flea market を家族でよく覗きに行ったものだが、この時は朝子さんオススメのflea market へ連れていってもらった。確実に何かと出逢う予感いっぱいに。バケツや箱モノなど、日本に持ち帰ることを考えると諦めざるを得ないものがいくつもあったが「うわぁ、、アレは!」と目が留まった一枚のラグ。私の好きな色ばかりの組み合わせ、愉しげな柄に、ぐっときてしまった。これは諦めるべきではない気がして、トルコ絨毯の店主に声をかけてみると穏やかで控え目な方だったが、にっこり「僕の全力で小さくしてみるよ」という心強い一言をいただき、「よろしくお願いします」と相成った。こういう場での社交辞令のような会話かと思いきや、店主のラグの丸め方は技ありで、いい仕事を見せて頂いた。顔見知りの朝子さんの、さりげない交渉にも感謝。スーツケースに難なく収め、日本に持ち帰って以来、我が家のリビングにある。見るたびに、いい買い物をしたなぁと悦に入る。ラグを見ながら一杯いける。ずっと飽きることのないラグ。我が家のいいアクセント。

 ラグを眺めながら、もう一つ思っていることがあるのだが、ラグや絨毯を目にするとき、小さい頃に見たアニメや読んだ物語が脳裏をよぎったりしないだろうか。人目がないことを確認しながら、家の玄関マットで飛べるように自主練していたこと、それがなかなか実らなかったこと、もしかしたら世界のどこかにある自分の絨毯に出逢えていないだけなのかも、なんて思っているうちに、いつしか闇練から遠ざかってしまったこと。きっと私だけではないはず...。ブルックリンで見つけたこのラグは、私の一枚かもしれないという直感に満ちた買い物でもあったのだ。これなら飛べそう、という謎の判断基準。心の中の私は、すでに飛んでいた。あの夏はラグをたたんで飛行機に乗って帰ってきたが、いつか広げて旅をしたい。このラグとなら、修行の日々を乗り越えられそうな気がする。結局、このラグの一番素敵なところは、そんな夢を私に見させてくれるところだった。

drawing by Yuito

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