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クリス智子 クリス智子
クリス智子

鍋を抱えて

CHRIS TOMOKO

鍋を抱えて

CHRIS TOMOKO

 美術館に足を運ぶのが好きだ。展示の内容に惹かれて行くことはもちろんだが、美術館の建築そのものが好きなので名建築めぐりを楽しみがてら、ふらり立ち寄ることもある。旅先では時間の自由度も高くなるので美術館の滞在時間もおのずと長くなり、次に思っていた行き先は明日に延期し、ゆっくりする時間などはいい。

 美術館の楽しみには、展示や建築に加え、もう一つミュージアムショップというのがある。現実界への橋渡しのような空間にも思えるが、たった今、この目で見て体感したことが、どんな風に「なんらかの日常のもの」に落とし込まれているのか、わくわくする。ハガキ、キーホルダー、カレンダー、ファイル、マグカップ、マグネット、Tシャツと行った昔からある定番アイテムに加え、昨今では食器、傘、クッション、花瓶などの暮らしまわりのもの、そして先日行った美術館では、日本の行事にも敏感に、アートが千歳飴になっていた。美術館スタッフのみなさんのアイディア出し会議にいつか参加してみたい。

 国立新美術館のスーベニア・トーキョーは展覧会に直結したものというより、その名のとおり、東京で出会える素敵なものたちの宝庫で、美術展と関係なく足を運ぶこともある。タラスキン・ボンカーストいった大好きなデザインユニットのものも置いてあるし、バッグやアクセサリー、そして気の利いた和物などは海外の友人へのお土産などに買うことが多い。ニューヨークのノイエ・ギャラリーは、20世紀初頭のドイツとオーストリアの美術品を集めた美術館だが、アール・ヌーボー好きにはたまらない建築と中身。クリムト作品などを間近で眺め、ウィーン工房の職人やその時代の工芸品を復刻した物がデザインショップに並ぶ。20代の頃、ここで買ったヨゼフ・ホフマン・デザインのコンパクトは今も日々持ち歩く私の宝物だ。この調子で美術館とショップを語り出すとまだまだ湧いてくるが、そもそも美術館には展示を観に行っているわけで、会場の入口でチケットを見せるときには、出口にあるショップで、何を買おうかなぁ?などと微塵も思っていない。なのに、かなりの確率で私は何かを買う。もちろん素晴らしいと思う展示には、企画と開催への感謝の意味も込めている。

手に取るものがコンパクトやハガキ、アクセサリーなどなら良いのだが、以前、ウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動の美術展を観に行った時は、モリスの自然を緻密で美しいデザインに落とし込む様を一連で観て、すっかり気分が高揚していたこともあって、あやうくソファを買いそうになったことがあった。モリス柄の。んー・・・と唸りながら、ぐるぐるぐるぐるショップ回ること10分。さすがに今じゃないですよね、ですよね?と自問自答し、目を瞑って諦めたあの時の自分を褒めたい。いや、あの時買って、今この部屋にあったらあったで、自分を褒めてしまうかもしれない...と未練たらしいことを思わないでもない。あれは、まぁまぁ大物にささってしまった未遂事件だった。数年前のBunkamuraミュージアムであった「イッタラ展」は、ラジオ生放送前の午前中に足を運んだので、充実のショップグッズも我慢しちらり見るだけと思っていたにもかかわらず、私は、うっかり黄色い鍋を買っていた。まさか鍋を買って美術展を後にするとは夢にも思わなかったし、鍋を抱えて生放送スタジオに入るとも思っていなかった。人生何があるかわからない。「それ何ですか?」と聞くスタッフに「あ、鍋。」と答え、ちょっとばかり滑稽なシチュエーションが面白かった。鍋は好みのグリーンがかったイエローで、自分のキッチンのアクセントにしている色でもあったので、迷いなく飛びついた代物。北欧のアンティークなどを販売されている方が出店されていた中に見つけた。帰って調べたら、FINEL (フィネル)というフィンランドのメーカーのもので、1960年代にセッポ・マッラトがデザインしたものだった。古いので少々傷はあったが、エナメルホーローの質感も良く、本当によく愛用している。軽くて非常に使いやすい。これが北欧デザインというものか!である。美術展に足を運ぶたび、次は何を抱えて出口に立つのか、我ながらドキドキ、いや、ハラハラである。

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