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クリス智子 クリス智子
クリス智子

戦さの日は梅をひとつしのばせて

CHRIS TOMOKO

戦さの日は梅をひとつしのばせて

CHRIS TOMOKO

 我が家に、一本の梅の木がある。老木は2階をゆうに超える高さで、引っ越して6年、毎年立派な実をつけてくれる。この梅の木に出逢うまでは、さほど梅の木や梅仕事に興味がなかったのだが、今となっては、奈良時代、万葉集の頃、桜より梅を愛でるのが主流だったという話にも、そうかもねぇ、なんて思ったりする。そして、植物としても大尊敬。何年も同じ木を観察していると、どんな木に対してもそういう気持ちになるのだろうと思うが、梅は2月頃に花開いたらゆっくり長く春の訪れを楽しませてくれ、次に下からのぞくと光を通すほどに淡い緑の葉が空を覆う。いずれ、カモフラージュしながら膨らんでいく実に、ある日びっくりするのだ。そこからは、さぁどうぞ、と言わんばかりに、たわわに実った実を差し出してくれる。

 今年は、筍や桜と同じく、梅も2週間ほど早かった上に、熟す時期の梅が落ちやすい頃に台風並みに雨風のひどい日もあったから、梅農家さんは非常に苦労されていると聞いた。想像を絶する状況だろうと思う。我が家ですら、あれ?と思う日あり、5月中旬過ぎに青々とした梅を一度摘んだものの、早すぎて持てあまし、次を待ったら雨風でたっぷり落ちてしまった。仕事をしていると、なかなか自然のリズムを優先できないもところがあり、今日じゃない?と思う日にすぐ反応できないのが残念だが、何かにしたいとあがく。とはいえ、梅酒や梅ジュースは作っても、梅干しとなると「3日間、天気のいい日に天日干し」というかなりのハードルがあって、私はまだ手を出せておらず、それができたら一人前、の入り口に立てるのかなぁと思うまま。

 まぁ、そんな風に、5月6月の生活の風景とマインドには梅がありつつも、まだまだ掴めていない感覚もあって、先日は友人に誘われて、横浜三渓園での梅の講習会に参加してみた。小学校の頃から馴染みのある三渓園は、今になって感動することが多い場所の一つだが、100年以上前に実業家の原三渓さんが造った日本庭園を雨越しに眺めながら梅のことを知るなんて、シメの梅づくし御膳まで、想像以上の贅沢な時間を味わえて、大人って楽しい!と本気で思った。 

 梅の実は、果実自体が糖分を持っていないから、塩にも砂糖に漬けられるミラクルな果実であること。(たしかに、他にないかもね)またその昔、戦の出る武士は、懐に梅干し一つ忍ばせ、往きに半分食べて戦い、残り半分は生き残れた時の帰路にとっておいたそうだ。成分や効能の数値より、ずっと梅のパワーを感じられた。時代は変わっても、今「戦さな気分」の場合は、梅を一つ持ち歩くべし。

 さて、その日は、貴重品種の「杉田梅」を味えるという触れこみにあった。ピンと来ていなかったのだが、杉田とは横浜市磯子区の杉田のことで、日本古来の在来種の梅。今となっては、みなとみらいのあたりが横浜の賑わいの中心地に思えるが、横浜開港前の江戸時代なので、山下公園あたりも非常に静か。3万5000本を超える規模だった杉田の梅林は大変な梅の名所だったそう。杉田の梅林こそが、旅人が道中、楽しみに訪れる観光名所。浮世絵にも杉田の梅林はたびたび描かれていて、みれば風情ある「海と梅」素敵な風景だった。(漢字も似ているので、ここはまた調べてみたい)余談だが、一緒に行った友人が、たまたま杉田にある梅林小学校卒業生で、その当時は知らなかった土地の歴史や学校名の由来を知ることとなり、思わぬ収穫にくすくす笑った。そんな風に話を聞き、梅づくし御膳を食べ終えた頃には、参加者に配られた梅レシピのプリントの余白は、メモや自分の感想でいっぱいになった。どこかにあるレシピではなかなか得られない、自分らしい梅仕事ができるのではないかと思えて、腑に落ちた日だった。

  来年は、梅林の名所を春先に訪れたいな。桜と比べるわけではないのけれど、天候によって、とある週末を逃すと、桜はなかなかゆっくり木の下で花見とはいかないが、梅はゆったり待っていてくれるような気がする。今年も、また梅に少し近づけた。そして知れば知るほど、おおらかな梅への甘えが出てくるようだ。

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