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クリス智子 クリス智子
クリス智子

左利き、文字偏愛

CHRIS TOMOKO

左利き、文字偏愛

CHRIS TOMOKO

つい先日「左利きなんですね」とハッとされて、ハッとした。たしかに人前で文字を書く機会は激減し、世の中を泳ぐ文字の多くは、書くものから打つものになってきているわけで、ペン、箸、スポーツ、料理など、何か道具を使わないと、もはや分からないことだ。利き手の脳への刺激から、発想や考え方、個性に影響するとは聞くものの、それらはどうも見えない。

 ラジオの現場を振り返ると、皆揃って次の方向に急ぐ間に、手書き原稿は消えた。実家の屋根裏を探せば出てくるかもしれない。原稿の文字を見れば担当ディレクターと曜日が瞬時にわかり、時折、生放送のスタジオに差し込まれる走り書きのメモを、眉間に皺をよせて解読しながらマイクに向かう緊張感はとうになくなった。(これはいいのか?)目から入る文字の形が一気に似たものになった時にも、生身の身体を通す声は変わらないことから、あらためて言葉と声に関して、じっくり向き合った大事な時間も多々あった。調整したいところと、そうでもないところ。わたしの場合、単純に小さい頃から字が好きだったことへの気づきもあった。

 現在担当する番組(J-WAVE GOOD NEIGHBORS )では、いらしたゲストの方には、小さな黒板にペンでなにか書いてもらっている。ラジオから聴こえる声とは違った側面が感じられ、これはいまでも、人を知る大事な“手がかり“のひとつだと思っている。普段の生活でも、例えば会計時の領収証や、コンビニのレジで荷物発送の伝票書きなどのちょっとした時間、顔にこそ出さないが(出ていないと思うが)、かなりウキウキしている。この人も左利きなんだとか、個性的な文字を書く方がいると、ちょっとばかりインタビューしたくなる気持ちを抑えて、伝票を受け取る。 

 自分が字を書くことが好きだから、やはり20代30代の頃には万年筆を買った。デザインや色に惹かれて手を伸ばしたスイス、イタリア、ドイツ製。今も机の一番手前の引き出しにあるものの、いずれも眠り万年筆になってしまった。書く機会が少なくなってしまったこともあるが、もう一つの理由は、左利きにあった。大抵の筆記用具は右利きの人が書きやすいように作られていると聞き、書きにくさの理由が不慣れなだけでなく、変えようもない事実と知り、ペンを置いてしまったのだ。(右利きは引き書き、左利きは押し書きになるので、インクの出方や紙との擦れ具合の差異など) 

 そんな小さなトラウマもすっかり忘れていたこの春、まさかの出逢い到来。仕事でPILOTの方とご一緒した際、雑談の流れで「左利きなので、万年筆は過去に諦めちゃったんです」と話すと「え、僕も左利きなんですが、いいのありますよ!」とおっしゃる木村さん。教えていただいたのが、PILOT カスタム742。最近、喜んで書いている。ペン先が少し反っていることで、左利きの方向で書いてもインクが出やすくなっているらしいのだ。インクの詰まりなどのトラブルにならぬよう、毎日使うことが大事だそうだから、そろそろ書き写したいと思っていた手書きのレシピカードを写しはじめている。「月夜」だとか「紺碧」なんていう素敵な名前のインクで。ゆとりがあるから書くのではなく、字を書いていると落ち着く感じ。走り書きでも、表情あって楽しい感じ。ちょっと字が上手くなったように思わせてくれる可愛い相棒。万が一、左利きで万年筆をお探しの方がいたら、と余計なお世話だろうが、お伝えしたい。

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