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クリス智子 クリス智子
クリス智子

蜘蛛

CHRIS TOMOKO

蜘蛛

CHRIS TOMOKO

 このところ、またしても頻繁に蜘蛛の巣に引っかかるようになった。「ゔっ.....」といった蜘蛛の糸に捕らわれた時だけに出る声が出る。鎌倉の鬱蒼とした谷戸、リスも蜘蛛もその他も、そこここにいる。感覚的記憶だが、だいたい5月6月あたりになると「ヤラレター」と引っかかりはじめ、夏の間は蜘蛛もこちらも暑さにダレるのか、少し静かな期間を経て、また秋の気配がしはじめた頃に「ヤラレター」は再開する。春と秋によく引っかかるのは、もしかしたら「いい季節になってきたなぁ」なんて思いながら、ぼーっと空を見上げることが増える時期だからかもしれない。蜘蛛たちも、せっせと作り上げた蜘蛛の巣を、ぼーっとした人間に崩されては、たまらないだろう。捕まっている虫にとっては救世主か?蜘蛛の産卵時期が9月頃、孵化するのは春と聞くから、虫の捕獲、守りの活動が活発な頃なのかもしれない。

 鎌倉に住むまで、日常的に蜘蛛に会うことはなかった。人間が多すぎて気づかなかっただけだろうか。虫も少ないから、街中に巣を作っても得はないのだろう。今の場所に住むようになり、様々な種類の蜘蛛を日々見るにつけ、じわじわ感動するようになった。蜘蛛の糸の種類を出し分け使い分けながら、あの凝った巣づくりの仕事の速さ。黄色や赤、茶に緑、身体の発色が美しいものがいると、じっと見てしまう。それは花に似ている。雨上がりの朝はまた最高で、キラキラと朝陽に輝く蜘蛛の巣を一つでも多く見たくて、私の知る、蜘蛛の巣ストリートを歩く。そういう美しさを知ると、蜘蛛は苦手などと、まったく思わなくなった。彼らの恐るべし、仕事の速さと生命力を感じるのは、もう一つあり、わずか数日でも旅行に出ようものなら、長いこと人が住んでいなかった空き家のように、玄関やひさしの下には、やりたい放題に蜘蛛の巣が張られていて、びっくりする。普段はそれなりに人間の気配を察知し、気を遣っているのだろう。

 さて、そんな蜘蛛の巣をくぐり抜けて、電車を乗り継ぎ、ラジオ生放送をしているJ-WAVE のスタジオのある六本木ヒルズに着くと、どうも蜘蛛に縁があるのか、今度は10mを超える巨大な蜘蛛の彫刻「ママン」(お母さん)に迎えられる。ルイーズ・ブルジョアの作品、仰ぎみて20年になる。蜘蛛と言えば、それまでは、かの芥川龍之介「蜘蛛の糸」の印象が強かったが、ママンは、新たな蜘蛛だった。以前ニューヨークのグッゲンハイム美術館で彼女の個展を見たことがあった。大小の蜘蛛の彫刻をはじめ、絵画などもあって、作品の根源にあるものに触れ、作品を見る目も蜘蛛への印象も変わった。複雑な家庭環境による両親への見方が作品にも表れていて、蜘蛛は、母親への憧憬。ヒルズのママンは、雨の日も雪の日も、はたまた台風の日でも、しっかりそこに立ち、お腹に大理石の卵を20個ほど抱えている。下に入り込むと、ヤラレターというより、守られているあたたかい感じがするので、私は、たまにその下にわざわざ入って、通り抜ける。なにかの「門」をくぐるように。あと少ししたら、我が家にいる今の蜘蛛たちには会わなくなる。そして、また来年の春になったら、私は自らヤラレるのだろう。昨日、まだ蚊に刺され驚いたが、庭の虫たちは、ずいぶん減った。次の季節の支度は、静かに始まっている。

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